えんじゅ

巣立ち

角帽

 卒業式が終わりにさしかかったころ、卒業生が角帽を宙に放り投げる瞬間が好きだ。
 きっと窮屈さもあっただろう学び舎を卒業する開放感と、古巣を離れて茫洋とした社会に羽ばたいていく心許なさが、宙を舞う帽子に重なる。
 去年も同じ瞬間を写真に撮ったけれど(「卒業後」)、今年はより広角のレンズに取り替えて、帽子が一番高く舞う瞬間にシャッターを押した。少しでもたくさんの帽子を写そうと思った。
 
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彼らのふるさと

学校の子どもたち

 「どこか行きたいところある?」

 と、モシが聞いてくれた。そう言われても、このムクワジュニという町のことを、僕は何も知らない。どこか行きたいところ・・・。

 「学校に行ってみたいな」

 と、僕は答えた。
 外国を旅するときには、その国の学校を訪れるのをいつも楽しみにしている。子どもたちがどんなことを勉強しているのかも興味があるし、その国の大人が子どもに何を教えようとしているのかも興味がある。

 「近くに、昔私が通っていた小学校があるわ。行ってみよう」

 と、ドゥーディが言った。
 訪れた学校は、ムスリムの小学校だった。男の子は白いシャツに青いズボン、女の子はヒジャブにスカートというのが制服で、足元はみんなサンダルだった。
 外国人がとても珍しいのだろう。僕のまわりに次々に子どもたちが集まってきて、僕の肌に触ったり髪を引っ張ったりしては甲高い声を上げていた。
 
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ザンビアの正装

チテンゲのシャツ

 昔からスーツとネクタイが苦手だ。窮屈でしかたない。正装となると、どうして男性だけがネクタイをしめることになっているのだろう。ずっと不満に思っているのだけど、誰に文句を言っていいのかよくわからないので、嫌だなぁと思いながら郷に従っている。
 ザンビア人は正装に対する意識がとても高いと思う。男性はきちんとスーツを着て、シャツにはしっかりアイロンをあて、しょっちゅう革靴を磨いている。スーツにキンピカのラメが入っていたり、ちょっとネクタイが短過ぎたり、と日本人から見るとヘンなところもあるけれど。女性もお洒落が大好きで、日曜日にはチテンゲで仕立てたドレスを着て教会に行く。
 僕も学校教員をしている手前、襟付きのシャツと革靴は必須だ。ほとんどの先生は毎日きちんとネクタイをしめている。ザンビアの生活で唯一窮屈なのは、毎日アイロンをかけたシャツを着て、靴を磨かないといけないことだ。ちょっとアイロンがけをサボると、「シャツに皺が入ってるよ」と同僚から指摘され、ちょっと靴磨きをサボると、埃のついた靴に生徒の視線が集まっているのがわかる。教壇に立つ者として、それはプロフェッショナルじゃない。
 
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地図の誘い

ヤム

 いつか帰る日も決まっていない旅ができたら、そのときは地図のない旅、というのをやってみたい。地図を持たずに身1つで歩く旅。そこに何があるかを知っていて歩くのと、何があるか知らずに歩くのでは、きっと見える景色がまったく違うだろうと思う。
 だけどまだそんな時間も勇気も持てずにいる僕は、新しい町に入るとまず本屋に寄って地図を買う。気に入った地図を見つけると、それだけで胸が弾む。宿に戻るといつも地図ばかり眺めている。地形を見て翌日に行く場所を考えたり、風変わりな地名に心を惹かれたり。地図を眺めていると、胸がざわざわと波立つ。
 
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同じ皿の飯を食う

モシとドゥーディ

 モシの友達はドゥーディという名前で、モシと同じく学校教員になるために教育実習をしている女の子だった。ダラジャーニからダルダルで1時間半くらい走ったところ、島の北部にあるムクワジュニという町で、ドゥーディは家族と一緒に暮らしていた。
 彼女たちは教員養成校(日本でいう教職課程)で同じクラスだったときに仲良くなったらしい。ふたりでいると、いつも楽しそうに世間話に花を咲かせていた。
 ダルダルでの道中、モシは真っ黒なブイブイ(チャードル)を身にまとっていたのだけど、ドゥーディの家に着くとわざわざ持参したオレンジ色のヒジャブに着替えた。イスラム教徒の女性にとって、ブイブイはよそ行き服で、ヒジャブは普段着なのだ。
 
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