えんじゅ

尻と便座の不幸な出会い

スワヒリ式トイレ

 誰のどの本だったか忘れてしまった(おそらく沢木耕太郎さんの本だったと思う)けれど、こんなことが書かれていた。
 インドを旅していて、トイレットペーパーを手放せたとき、また1つ自由になれた気がした、と。
 インドでは尻を拭くときトイレットペーパーを使わない。水で洗い流す。便器のそばに必ず小さな蛇口が付いていて、その下に小さなバケツが置いてある。これに水を貯めて、尻の上からちょぼちょぼ流す。そのちょぼちょぼ水を待ちかまえて、左手で尻を拭く。尻に付いた水を拭き取る紙がないけれど、インドの気候ではすぐに乾いてしまうので問題ない。
 インド人はご飯をつまむときもチャパティーをちぎるときも、必ず右手だけを使う。左手はテーブルの上に上げない。ヒンドゥー文化ではあらゆる場面で右手は浄、左手は不浄とされているからだ。だけど、そもそも左手は尻を拭くのに使うので、ご飯を食べるときにはあまり使いたくないのだ。
 自分の手で尻を拭くのは、やはりはじめは抵抗がある。だからついついトイレットペーパーを持ち歩いてしまう。だけど一念発起してこの尻拭きができるようになると、水で洗い流す方が紙で拭くよりも清潔で気持ちがいいことに気がつく。そしてかさばるトイレットペーパーから解放されたとき、インドの習慣の中にまた少し入り込めたという実感がわく。
 
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海を渡ったカロム

カロムをするおじさん

 町角をウロウロ歩いていると、ムスリム帽をかぶったおじさんが真剣にゲームをしているのを見かけた。
 なんでもない光景だけど、これがちょっとヘンな光景なのだ。
 このゲームはカロムとかカインバットと呼ばれる、インドやネパールの町角でとても人気のあるゲームなのだ。丸いパックを指で弾いて他のパックにぶつけ、盤の4隅に開いた穴に落とす、ビリヤードのようなゲームだ。僕も南アジアを旅したときに何度かやったことがある。
 だからこのゲームをしているのはたいていヒンドゥー教徒かスィク教徒というイメージがある。ムスリム帽をかぶったおじさんがパックを打っているのは、なんだかヘンなのだ。しかもおじさんは黒人なのだ。
 このカロムも海を越えてアフリカ大陸に渡ってきたのだと思うと、なんだかおかしかった。
 
 ゲームの名前を聞いてみると、スワヒリ語では「ケラム」というらしい。「カロム」がなまったのだろう。ちょっと眺めているとルールもインドと同じようだった。「遊び方知ってるのか!」と驚かれたので、内心「我がアジアのゲームなんだぞ」と思いつつ、1局打たせてもらった。端から見ると、肌の黄色い東アジア人がカロムをしている、というのはなおさらヘンな光景だっただろう。
 さすがに旅の途中でちょっと遊んだだけの旅行者と、毎日切磋琢磨して腕を磨いている現地人ではまったく勝負にならない。カロム日本代表はあえなく敗れてそそくさと退散したのだった。
 

Good Morning from Kiswahili

ダル・エス・サラーム

 ダル・エス・サラームの空港に降り立ったとたん、どこか懐かしい感じのする湿気が身体にまとわりついてきた。
 どこの国に行っても、首都のような大きな街は通り過ぎてしまうことが多い。今回の旅もダル・エス・サラームは通り過ぎただけだった。だけどこの街にはもう何日か滞在してみたかった気がする。街に着いたその日から、あちこちにスワヒリ文化を感じさせる光景を見つけて、胸が躍った。

 古い大きな建物の合間にモスクやヒンドゥー寺院や教会が並び、新しいビルが次々と建てられている。道にはパジャジと呼ばれる3輪タクシーやバイクが走り、けたたましくクラクションを鳴らしている。人と車がひっきりなしに行き交う都市の喧噪は、アフリカというより東南アジアの古い都市を思わせた。
 
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縁の文化

ティンガティンガ

 タンザニアへの旅から無事にザンビアに帰ってきた。ザンビアとは国境を共有する隣国でありながら、文化の様相がまったく異なるタンザニアへの旅は、アフリカ大陸の歴史を感じた旅になった。

 タンザニアはスワヒリ文化だ。「スワヒリ」は「縁(フチ)」を意味する。アフリカ大陸の「縁」に位置するタンザニアは、長い歴史の中で、海の向こうのアラビア半島、インド亜大陸、ヨーロッパと遭遇した土地だった。その縁で、アラビアのイスラム文化、インドのヒンドゥー文化、ヨーロッパのキリスト教文化、そしてアフリカ土着の黒人文化が入り交じり、渾然一体となった「縁の文化 −スワヒリ文化」が生まれた。
 そのスワヒリ文化は今も、人々が話す言葉の中に、身にまとう衣服の中に、日々口にする食の中に、古くから住まう住居の中に、あらゆるところに色濃く残っている。

 歴史的には、この文化は悲しい文化なのかもしれない。アラブの商人を介して黒人奴隷を輸出する港であった時代にイスラム文化が入り、インドとの奴隷交易の中でヒンドゥー文化がもたらされた。そしてドイツ、イギリスによる植民地支配を経て、ヨーロッパのキリスト教文化がそれに交じった。それぞれの土地と宗教の文化がいつしか交じり合ったのがスワヒリ文化だ。それはかつてのアフリカにとっては、悪縁の文化だったのかもしれない。

 だけど皮肉なことかもしれないけれど、「縁(フチ)」の土地は、さまざまな文化の「縁(エン)」が息づく土地にもなった。僕はこの国で、そうしたさまざまな縁に巡り会うことができた。
 ザンジバルの今どきの女の子、ムスリム学校の子どもたち、バガモヨの伝統的なくり舟漁師、父の画風を受け継ぐ若い芸術家、町の片隅で食堂を営む姉妹。イスラム教徒もヒンドゥー教徒もキリスト教徒も、それぞれの生活の中で笑いながら生きていた。
 スワヒリ文化と出会いながら歩いたこの旅は、良縁と呼ぶことしかできないような、素晴らしい出会いを与えてくれた。
 その縁を1つ1つ思い出しながら、これからゆっくり書いて残しておきたいなと思う。
 

時間の中を旅する

湧き水


 山道でこんな風景を見かけると、あぁ、歩いていてよかった、としみじみ思う。
 歩いて旅するということは、現地の人びとの生活と同じリズムで旅をする、ということ。歩くからこそ感じられること、それはその場所に流れる時間のリズムだと思う。
 時間の中を旅する、それが歩く旅の醍醐味だ。
 
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