いよいよ調理に入る。
ここでもまた、逡巡してしまった。どのように調理して食べ比べるのがいいのだろう。
レストランだって缶詰だって、作り手の「おすすめの食べ方」が一番うまいに決まってる。だけどこの2種類の缶詰、どうやら「おすすめの食べ方」が違うらしいのだ。
「原料にこだわった さんま蒲焼き」の方は、「あつあつのご飯の上にタレごとのせてお召し上がりください」とパッケージに書いてある。
一方、「ちようしたのかばやき さんま」の方には、特に何も書かれていない。しかしパッケージに「盛り付け例」の絵が入っている。ご飯ではなく平皿に盛られて、さりげなくミョウガが添えられている。もしかすると「ちようしたのかばやき さんま」は、酒のアテとしての食べ方をおすすめしているのではあるまいか。
そこでこのさんまの蒲焼きを食べるなら、どんな酒がいいだろうと思いを巡らせると、やはり日本酒か焼酎かビールだろう。八代亜紀が歌っているように、酒ならぬるめの燗がいいな。だけどもちろん日本酒も焼酎も手に入らない。ビールでもいいのだけど、今家にあるビールはナミビアの「ウィンドホック」しかない。ナミビアのビールとさんまの蒲焼き・・・。うーん、ちょっとイマイチだ。
というわけで、「ちようしたのかばやき さんま」にとってはちょっと不利な条件になるかもしれないけれど、「原料にこだわった さんま蒲焼き」の「おすすめの食べ方」に従って食べ比べることにした。実際に比べる際には、酒のアテとしてはどちらがいいか、も頭に入れながら食べようと思いつつ。
そこでさっそく「あつあつのご飯」を炊く。
缶詰の魚の温め方には、缶のまま湯煎する方法と、缶を開けて直火にかける方法とがある。僕は缶を開けて直火にかける方法で温めるのが好きだ。その方が調理中にも調味料の良い香りが漂ってきて幸せな気分になるからだ。ちょっと料理酒や味醂を加えたり、と味付けも思いのままだ。
学生時代にバーで働いていたとき、「製作過程の美しくないカクテルはうまくない」とマスターが言っていた。僕は缶詰を調理するなら缶のまま湯煎するよりも、開封して直火にかける方が美しいと思う。
今回は食べ比べをするので、あえて自己流の味付けはしなかった。だけどご飯の上に盛りつけてみると色味がなんだか味気ないので、畑のネギをとってきて散らした。山椒も欲しいところだけど、ないので仕方ない。余談だけど、山椒は日本に帰ったらじっくり追いかけてみたい香辛料の1つだ。
いよいよ試食に入る。
まずは「原料にこだわった さんま蒲焼き」。あつあつのご飯に盛りつけてハフハフ言いながら食べる。あつあつのものを食べるときにはわざとらしくハフハフと言いながら食べるとうまさも倍増する気がする。
うーん、うまい!
パッケージの「原料のこだわり」にあるように、「北海道・三陸北部沖の脂ののった秋刀魚」から、長い間缶詰に封印された秋刀魚の脂が弾けるように舌をなでる。その眠りからさめた奔放な脂をたしなめるかのように、「伝統ある小豆島「ヤマヒサ」の国産丸大豆使用の天然醸造醤油」と「みりんの旨みと酒の風味を併せ持つ「味の母」」と「奄美群島・喜界島産のコクのある甘みが特徴の粗糖」が織り成す絶妙な甘辛いタレがやさしくしっとりと舌を包みこむ・・・。うーん、これをきっと、「ハーモニー」と呼ぶのだろう。
圧巻、である。どうしてこれまで「さんまの蒲焼き」をもっと積極的に食べてこなかったのだろう、と僕は自分の人生を少し後悔した。ひとり暮らしをはじめてはや13年。貧乏だった学生時代、空腹を紛らわすために必要以上の酒を飲み、八代亜紀が歌っているように、しみじみ飲めば涙がポロリとこぼれた夜をいくつ数えただろう。もし当時この「さんまの蒲焼き」のうまさを知っていたならば、どれだけの夜が救われただろう。
ともあれ、次に「ちようしたのかばやき さんま」。もうあつあつには舌が慣れてしまっているけれど、公平を期すためやはりあえてハフハフ言いながら食べる。
うーん、うまい!
僕はしばし目を閉じて天を仰いだ。五月晴れの太平洋沖、やわらかい光が射して海面が百千の星々のようにさんざめく情景が脳裏をかすめる。
銚子で水揚げされたさんまは、北海道・三陸北部と同じ太平洋沿岸といえども、やはりどことなくふくよかな感じがする。アリューシャン列島を南下しながら極北の厳しく冷たい海流に鍛え抜かれ、アスリートのように引き締まったストイックなボディーの北海道・三陸沖の秋刀魚に比べると、さらに南下して銚子までたどり着いたさんまには、穏やかな海に出会って緊張したボディーの力をふっと抜いたため、うっかりちょっと脂がこぼれ落ちちゃった、というような人情味のある脂の味がする。思わず「秋刀魚」から「さんま」になってしまった、この太平洋の旅人の心持ちを慮ると、自然と僕の頬も緩む・・・。
・・・って、本当か?僕は眉をほそめた。
「たしかにうまいけど、これ、ほとんど同じ味やんか」
正直なところ、さんまもタレもほとんど同じ味な気がする・・・。少なくとも380円と110円の値段の違いは感じられない。ていうか味が濃くて2膳も食べられへんし・・・。
また後悔の念が波を打って押し寄せてきた。僕はどうしてこの貴重な缶詰を、いちどきに2缶も開けてしまったのだろう。それは先ほどの追憶型甘美的感涙性後悔とは違って、刹那型激情的無念性後悔なのだった。
しかも、なにかしら「さんまの蒲焼き」について鋭い洞察が得られたのならまだしも、結局味の違いはよくわからないという、芸能人がしたり顔をしてブルゴーニュのグラン・クリュとコンビニの980円ワインを間違えるバラエティー番組みたいな、ありきたりのオチしか得られなかったのだから・・・。
・・・と悲嘆に暮れていたところ、海の向こう、ではなくて畑の向こうに見慣れた顔の青年が歩いているのが見えた。
ラファエルだ。ラファエルはまだ19歳だけれど、うちの教会のクワイヤの中心メンバーの1人で、僕らが作ったゴスペル・アルバムではリード・ボーカルを務めている。
これはおもしろいな、と思った。彼に食べ比べをしてもらったら何と言うだろう。海に面していないザンビアでは、海の魚はまず食べられない。彼はおそらく生まれてはじめて海の魚を口にするだろう。彼こそ海の魚に100%ウブな、究極のニュートラル舌の持ち主なのだ。
さっそくラファエルを呼んだ。
「ラファエル、海の魚食べたことある?」
「ないよ。海を見たこともないなぁ」
うふふ、思ったとおりだ。
「何も聞かずにこの2つの魚を食べ比べてみて。で、おいしいと思った方を指差して」
ラファエルは黙って箸を動かした。彼は何度もうちに遊びにきてご飯を食べたりしているので、箸の使い方も手慣れたものなのだ。真剣な面持ちで食べ比べてみた後、彼は迷いなく一方の魚を指差した。
「こっちの方がおいしい」
と、彼が指差したのは、なんと1缶380円の高級缶詰「原料にこだわった さんま蒲焼き」だった。「ほんまかいな!」と僕は彼に疑いの眼差しを向けた。
「うん、こっちの方がオイルが豊かだし、ソースの味もおいしい」
僕は少しうろたえた。たしかにさんまの脂の乗り具合は、若干「原料にこだわった さんま蒲焼き」の方に分があるかもしれない。だけど僕にはタレの味はほとんど同じに思えたのだ。
そういえば、彼は「原料にこだわった さんま蒲焼き」の方を先に口にした。先に口にした方がおいしく感じられたというだけのことかもしれない。
「ちょ、ちょっと待って。目をつぶって。僕が1つずつ口に運ぶから、後からどっちがおいしいか言って」
そう言って目をつぶってもらった。僕はあえて「ちようしたのかばやき さんま」、「原料にこだわった さんま蒲焼き」の順番で彼の口に運んだ。
「どっちがうまかった?エッ、エッ、どっちなんだ?」
僕は少し興奮気味に聞いた。
「後の方がうまいなぁ」
と彼は涼しい顔をして答えた。その涼しげな顔を、僕は尊敬の眼差しで見つめた。
そしてもう二度と、「さんまの蒲焼き」の食べ比べをするのはやめておこう、と決心した。
空にはどんよりと暗い雲が立ちこめていた。
11月、ザンビアでは長い乾季が終わり、本格的に雨季に突入していく季節だ。日本では晩秋を迎え、日ごとに寒さが増していく時期だろう。
あぁ、今年もさんま食べられなかったなぁ、と僕は今にも雨が落ちてきそうな空を見上げた。それから、やっぱりさんまは蒲焼きよりも塩焼きの方が魚の味がよくわかっていいなぁ、と僕はやけくそ気味に思ったのだった。
(「さんまの蒲焼き」シリーズ おわり)