山が泣いている
桜の季節。川沿いの桜並木も綺麗だけれど、山に咲く自生の山桜も綺麗だ。
山桜が咲くのは、山の樹の多様性がまだかろうじて残っている証拠のように思う。日本の山はどこもかしこも杉林、竹林になってしまった。かつての山を知らない人は杉林、竹林を見ても「自然が豊かですね」という。かつての山を知っている人は「山が泣いている」という。その違いは、多様な樹がない山を自然と感じるかどうかだ。
かつて日本の山にはもっと多様な樹があり、春には色とりどりの花を咲かせていた。それが今、杉と竹が山を埋め尽くそうとしている。
杉は戦後木材が不足していた1950年代に、国の政策によって大量に植樹された。成長が早く、まっすぐに伸びる杉は建材として重用された。しかし1960年代に木材の輸入が自由化され、海外から安価な木材が日本に流入した。日本の林業は急速に衰退し、植林された杉は山に放置された。杉は他の雑木を駆逐して拡大し、大量の杉花粉を飛散させることになった。杉は樹齢30年頃から花粉を飛ばすようになる。ちょうど杉が大量に植樹された約30年後から花粉症患者が増え始め、今や花粉症は日本の国民病になった。
竹はたけのこを栽培するため、中国から輸入した孟宗竹が大量に植樹された。日本古来の真竹よりも孟宗竹の方がたけのこが大きく育つからだった。しかしやはり1970年代にたけのこの輸入が自由化され、中国をはじめ海外から安価なたけのこが大量に輸入されるようになり、国産たけのこは価格競争に巻き込まれた。その結果国内のたけのこ農家は壊滅的な打撃を受け、植林された竹は山に放置された。日本でも毎年大量のたけのこが採れるにもかかわらず、自給率はわずか8%。掘られないたけのこは、どんどん伸びる。今、スーパーで売られているたけのこのほとんどは中国産だ。
杉と竹、両者に共通するのは、まっすぐにそして高く伸びる点だ。そのため表土には日光が届かず、他の樹が生きられない。杉林や竹林に分け入ってみると、暗く湿った地面には他の植生がほとんど見られない。そうして山から樹の多様性が失われた。「山が泣いている」と村のおじいさんが言った。
TPPが署名され、国会では発効に向けての法整備が始まっている。かつて木材の輸入を自由化し、たけのこの輸入を自由化し、日本の山の風景を変えてしまった歴史をまた繰り返そうとしている。目先の経済発展のために、日本は長年にわたって営々と育まれてきた風景を手放してきた。その過ちを省みず、今度は畑や田んぼの風景さえも手放そうとしている。
本来なら桜の花を愛でて春の訪れを歓ぶ季節。だけど茶畑での農作業から家に帰る道すがら、杉林、竹林に挟まれ窮屈そうに咲く山桜を眺めると、どうしてもこれからの山の風景を憂えてしまう。これからますます杉林、竹林が山を埋め尽くすと、この山桜も見られなくなってしまうのだろうか。